今回のブログは『息子がいかにして東大理Ⅰに合格できたか。その①』の続きをを書く予定だったのですが、前回のブログで下の息子が公文に通っていたことに対して、色々とご意見が寄せられましたので、予定を変更して『公文』に対する私の私見を綴ってまいります。
前回のブログでも書きましたが、中学受験を検討されている場合や、将来的に東大や医学部への進路を検討されている場合は、まったくお勧めができません。
公文の多くは、多少の学力に自信がある主婦の方が公文に加盟金を払うことによって、看板を借り受け営業を行っています。
参考URL:公文の先生募集
そのため、先生方は東大の入試問題を解くこともできなければ、中学受験の入試問題すらも解くことがままなりません。
また、学習内容は、算数であれば計算問題のみ、国語であれば先生の解説を必要としないレベルの文章問題をひたすら行います。
そして、課題のプリントを終えて、テストで合格をすれば次の単元に進むという形で進められます。
公文には先生といいますか、大人は何人かいます。
しかし、そのほとんどの方は生徒が行ったプリントの丸付けのみを行う人であり、子供がわからないときでも大量のプリントの丸付けに忙殺され質問を受け付けてくれません。
だから、公文は子供が質問をしなくてもわかるレベルの学習しか行うことができないのです。
以上が公文の学習システムです。
そうしますと、土台となる知識にあいまいな部分が増え、その知識を応用させることが非常に困難になります。
また、子供は優越感を感じるためか、正確に解いていくことより、周りより早く進めようという意識が働きます。
その意識により、見直しをするという習慣が失われ、ケアレスミスも多くなります。
さらに、難しい問題に取り組むことに意義を見出せなくなる傾向があります。
これは、演習不足もさることながら、「早くやることに優越感」をおぼえるようになることが原因であると私は考えています。
うちの息子は公文にいれてから「早くやれないこと」にいら立ちをおぼえるようになり、困難な問題を避けようとする傾向が見受けられました。
もちろん計算が早くできるようになることは重要な素養です。
また、周りより勝ろうとする意識は勉強のモチベーションにとってプラス働くと思われます。
中学受験や土一などの難関高校、旧帝大や医学部などの学業において困難な道へ進むことを考えられているならば、「困難なことを克服することへのやりがい」を持たせてあげる必要があります。
その『やりがい』をそぎ落としてしまうことが、一番のマイナス面であるというのが私の考えです。
確かに次のURL「東大生が子どもの頃に『公文式』を選ぶ理由」のような、記事が存在をします。
この記事は東洋経済新報社というところが出しています。
しかし、これは間違いなく公文側が東洋経済新報社に金銭を支払うことによって書いてもらった公文の広告記事です。
そのため、「現役東大生の83%以上が2年以上公文式を学習」というのは、何らからしらのカラクリがあると思われます。
以上が私の公文に対する考えとなります。
かなり否定的な考えなのでお気に障る方もいらっしゃるかもしれませんが、ご参考にしていただけましたら幸いです。